この類の「国策捜査」に関する著作は多々読んできたけれど、特に印象に残る一冊でした。
元知事も一審での判決直後、「こんなものか」と特に感慨が浮かばなかったと書かれていますが、憤りを通り越して呆れの境地になります。
日本の司法は茶番です。
本書は東京電力福島第一原発事故以降、原子力ムラの構造が描かれているということでも注目されています。
現在では多くの人が知っていることですが、改めて東電の隠蔽体質と国の手のひら返しは驚くばかりです。
一読をおすすめします。
(以下本文より抜粋)
森本検事が発したという言葉(すなわち、東京地検特捜部の言葉と言ってもいいであろう)を聞いていると、強大な公権力を持つ機関としては、そのあまりの軽さに驚かされる。特捜検察の権力というのは、おもちゃなのだろうか。(略) 私の場合、特捜部がストーリーに合った事実を求めてブルドーザーのように根こそぎ調べた結果、一番大切な支持者も、政治家や知事としての支持基盤やシステムも、そして私自身も、再出発どころか、すべて「擂りつぶされ」てしまった。
私が闘ってきた「霞ヶ関」の官僚の行動原理は、基本的に「自己保身」であった。官僚は自らの責任として何かをなすことを嫌い、「顔」がなかった。対して特捜検察は、その行動が「自己目的化」しているのだ。
(略)
「知事を抹殺する」。この奔流は、止められない。
たとえ誰かが本当に死んでも、やめないのである。
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